日本に核ミサイルが着弾した場合、一体どうやって国民はわが身を守ればいいのか。
2017年から運用が開始された全国瞬時警報システム(Jアラート)は、弾道ミサイルが日本の領土・領海に落下する可能性又は領土・領海を通過する可能性がある場合に使用されるが、Jアラートは「屋外にいる場合は近くの建物(できれば頑丈な建物)の中又は地下(地下街や地下駅舎などの地下施設)に避難してください。屋内にいる場合は、すぐに避難できるところに頑丈な建物や地下があれば直ちにそちらに避難して下さい。それができなければ、できるだけ窓から離れ、できれば窓のない部屋へ移動してください」と国民に促すにとどまる。
世界各国では、核ミサイル脅威に対する備えの重要性を認識し、いざという時の避難場所として、核シェルターの整備を政府主導で進めている。日本は唯一の被爆国であり、周囲を中国、ロシア、北朝鮮などの核保有国に囲まれているにもかかわらず、核シェルターの普及が全く進んでおらず、議論すら行われていない。緊迫する北東アジア情勢に鑑みれば、有事には、どのような方策があれば国民を安全かつ確実に守れるか、政府・国民ともに真剣な議論が求められていると考える。
日本に「核シェルター」は?国民の安全は誰が守る?
ロシア、ウクライナ間の戦争が続く2022年5月13日現在、死亡者数-最低4.6万人、死亡者を除く負傷者数-最低1.2万人、行方不明者数-最低400人、避難民-最低1400万人、損壊した建物数-最低2124棟。
しかし、いまだその攻撃は中止されておらず、マリウポリのアゾフスタリ製鉄所には、現在も民間人を含む約2000人が立てこもっている模様だ。製鉄所の地下で生活する民間人の様子は幾度と無くSNSに投稿されている。プロパガンダも飛び交う中で何が正しい情報かを見分けることは非常に困難であるが、ウクライナ南東部のマリウポリ市議会の議員は、ウクライナ側の勢力が拠点とする製鉄所にロシア軍が「化学兵器による攻撃を準備している」との主張もある。
ロシアとウクライナの双方が「民間人を人質としている」との批判を繰り返し、2か月にも続く戦闘の結果、多くの民間人が犠牲となってしまった。
日本も決して他人事ではない。
ロシアは2022年5月6日「オトベット」、2022年5月13日「カブリル」と日本海で2度もミサイル実験をしている(あれ?Jアラートは?排他的経済水域外?)。万が一の有事に備え、自衛隊も訓練はしているものの、もはや自身の安全は自身で備えていくべきではないかと思えてくる。
日本が攻撃された時、国民はどう保護される?
戦争犯罪のなかった戦争などあるのだろうか?個人的な見解ではあるが、戦時下で民間人の犠牲は必ずあると考えていいでしょう。有事に備え、日本では自衛隊が日々訓練を重ねてはいるものの、実際にはどのように保護の計画がなされていて、それらは安全と言えるのか。
2021年10月1日時点では、日本の各県で「民間人保護」の計画が策定されている。しかし、今回ロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにした私たちは、もう一度「現在の保護計画のままで本当に危機に対応できるのか」を考える必要が出てきたのではないだろうか。
欧州と地続きのウクライナと、海に囲まれた島国である日本を単純に比較することはできないが、日本でも大規模な地上戦闘で多くの民間人が被害に遭ったことがある。それは、大東亜戦争末期にあった沖縄戦です。
その時、民間人は「守られるだけの存在」ではなかった
総務省の資料によると沖縄戦の戦没者数は約20万人で、そのうち民間人は約94000人とほぼ半数を占めている。時に、敵国も自国も敵になるような、めちゃくちゃな状態が戦争ではないか。と個人的には考えている。
戦後、軍が多くの民間人の命を犠牲にしたことは批判され続けてきた。現在、ウクライナでも多くの民間人が銃をとり戦闘に参加している。
このように書くと、まるで民間人も立ち上がり戦うべきだと主張しているかのように、受け取られてしまうかもしれないが、個人的な意見としては真逆である。
とにかく、「逃げて・防衛する」。それこそ命懸けで。うまく伝えられないが、「銃を手にした後の平穏な生活」など有り得る筈がない。「殺さず・逃げる・守る・生き延びる」ということを本気で考えるには、そういった「不参加」という決意も必要だと考えるべきではないか。
空気によって民間人も戦闘に参加させられるかもしれない?
集団的自衛権を行使する場合、日本有事の際に国民を守る措置を定めた国民保護法がある。そこで制定されている国民保護計画には、上述したような視点がまったく欠けている。
東京都の国民保護計画では、事態を「武力攻撃」と「大規模テロ」の2つに区分し、それぞれに事態類型を示している。たとえば、「武力攻撃事態」には「着上陸侵攻」、「ゲリラ・特殊部隊による攻撃」、「弾道ミサイル攻撃」および「航空攻撃」の4類型がある。
都の避難指示に従って避難場所に避難し、それ以外の場合には、自らを守る行動をとったうえで自主的に避難するという計画だ。いずれの場合も行きつく先は避難所であり、そこには、民間人がボランティアとして戦いを支えるかもしれないという視点はない。
新型のウイルスが蔓延し、強制させられているわけではないのに、こぞってマスクをつける日本人。強制させられているわけではないのにだ。この同調というか、一種の「空気のような圧力」に我々日本人はとても弱い。よく言えば協調性がある。
だからこそ、現実から目を逸らさず、事前に防衛の意思を固めておき、そういった仲間とつながっておくことが大切ではないだろうか。
日本に「攻撃を逃れられる避難所」は?
国民保護計画において内閣府が指定している避難場所は、防災センターや公民館、小学校などだ。これは「大規模災害」の避難場所と同じ。つまり、「大規模災害」と「武力攻撃事態」が同じ避難場所になっており、そこには「武力攻撃事態下で相手の攻撃に耐えられるか」という視点がないのだ。
ロシアがウクライナに侵攻してからというもの、ウクライナ国民はアパートの地下や地下鉄駅などの堅牢な建物に避難し、砲撃やミサイル攻撃から逃れてきた。しかし、現在日本で指定されている避難所はとても敵からの攻撃に耐えられるとは思えない。
NPO法人日本核シェルター協会によると、核シェルターの普及率はスイスとイスラエルが100%、アメリカ82%、イギリス67%に対し、日本はわずか0.02%だった。東京には地下鉄の駅が多いという声もあるかもしれないが、空調設備や食料等の備蓄は不十分。つまり、日本の武力攻撃事態における避難所は皆無と言ってもよいのである。
日本でも「大規模訓練」が必要
次に指摘できるのは「現在行われている訓練が役に立つのか」という点である。現在、日本の自治体の多くは国民保護法に基づく訓練の実施を義務付けているが、実際に実施されてきたどの訓練も想定は「大規模テロ」だ。
たとえば、東京都はこれまで8回の訓練を実施しているが、写真を見る限りとても大規模とは言えない。また、埼玉県は500人程度で年1回の頻度で実施している。しかし、武力攻撃事態における大規模な避難をスムーズに実施するための事前訓練ではなく、やりやすい内容の訓練をやりやすい規模で実施していると言わざるを得ない。
毎年訓練することは難しいかもしれないが、参加者1万人以上の大規模訓練をつうじてノウハウ蓄積を図り、計画の実効性を確認する必要があるだろう。
島国の日本では、海外へ避難できない
国民保護を考えるときは、その国の国民性や地理的特性を考慮する必要がある。日本が外国から攻撃されたとき、国民が中国やロシアへ避難することは考えづらく、紛争の初期段階では国内避難が主とならざるを得ないだろう。
そして、「どこにどの程度の武力攻撃事態用避難施設を作るか」や「避難所までどのように誘導するか」、「避難誘導のためにボランティアをどう活用するか」、「日本を守るために自衛隊に協力したい人をどのように受け入れて活用するか」などについて、地に足をつけて議論し、具体的な準備を進めていかなければならない。
日本で高まる「核シェルター」需要!
日本で戦争が起こる。核爆弾が飛んでくる。自宅の近くに落ちる。
そんな事が現実に起こるかは分かりませんが、可能性は0では無いでしょう。
可能性が0に近くても万が一に備えて、核シェルターが欲しいという方が、一定数います。
また、戦争が起こってから核シェルターを作るのでは遅いです。
核爆弾が落ちる前に作っておいてこそ、核シェルターの意味があります。
日本で核シェルターが必要か必要でないかは、自分の近くに核爆弾が落ちるか落ちないかなので現状は誰にも分かりません。
「何月何日に核爆弾を○○に落とす」と、宣告してくるはずがありませんから。
核爆弾が落ちるとしたら、いきなり落とすに決まっています。
私の個人的な考えとしては、日本に核爆弾が落ちる可能性はかなり低いと思いますが、それでも小型核と言われるものでさえ広島に投下された原爆の「半分」とも「2%」とも「倍」とも・・様々な情報が飛んでおり、実態はわからない。
また、驚異は核だけではなく、非人道的兵器・電磁パルス(EMP)・地震・噴火・津波など様々な事象に合わせたシェルターが存在しています。しかし、価格はとても安価とは言えず、規模にもよりますが、最低でも300万円以上から上は限度がありません。
そんなものを、国民の力だけで賄い他の先進国と同様に高い普及率まで持っていくことは現実的ではないし、不可能でしょう。
だからこそ、政府が主導してくれないなら、個人が団結し、個人団体主導で市区町村へ呼びかけて、国を動かすしかないのではないか。と個人的に希望を抱いている。
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